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館蔵品データベース
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写真番号:140304_JL_0009 カラー種別:カラー
140304_JL_0009 / カラー
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昭和32年に金沢市南部の三子牛町の道路脇から露出していた和同開珎が545枚も採集された。銅銭は緒に通したままの状態で土器に入れられていたらしい。なぜ埋められていたのかは分からないが、一箇所で見つかった数としては最高である。開の字が「開」となっていることや珎が「寳」の略字であることなどが特徴である。 和銅元年(708)に初めて鋳造され、平城京造営の財源とされた。発行当初は1日の労賃が1文であったというが、そののちは価値が下落した。
日本-奈良
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昭和32年に金沢市南部の三子牛町の道路脇から露出していた和同開珎が545枚も採集された。銅銭は緒に通したままの状態で土器に入れられていたらしい。なぜ埋められていたのかは分からないが、一箇所で見つかった数としては最高である。開の字が「開」となっていることや珎が「寳」の略字であることなどが特徴である。
和銅元年(708)に初めて鋳造され、平城京造営の財源とされた。発行当初は1日の労賃が1文であったというが、そののちは価値が下落した。
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